『テーマは“いまあるもので”。防災のために、今、出来ることは意外に沢山あるのです。』

テーマは“いまあるもので”。防災のために、今、出来ることは意外に沢山あるのです。

【今あるもので街を強く!】

『うめきた外庭SQUARE』では「防災のチカラ」と言う、災害に備える実証実験がイベントの形で行われています。秋に開催された「防災のチカラ」は“いまあるもので”がテーマでした。

いつやって来るか分からない大災害。「備えあれば憂いなし」ではありますが、あまりに大きな備えをしようとすると、今の生活に皺寄せが来てしまいます。

1番良いのは、“いまあるもので”暮らしの中の防災レベルを上げること。無理なく自然に出来ることを、持続可能な範囲で…まさにSDGsのコンセプトと重なります。

SDGsの目標11「住み続けられるまちづくりを」とは、誰もが安全で快適に暮らし続けられるよう、気候変動や社会課題に適応したレジリエントな都市を実現するという目標です。「レジリエント(強靭《きょうじん》)」とは、災害などの衝撃を吸収し、元の状態に回復できる力を意味しているのです。

【平常時から今の暮らしをレベルアップ】

「防災のチカラ」では、沢山の防災ブースが『外庭SQUARE』の『ノースラボ』に林立。

西尾レントオールのブースでは「WOSH」と言う、災害で水が止まってしまった時に有難い“手洗いスタンド”がありました。特殊なフィルターで濾過したり、特別な紫外線を照射してウィルスなどを除菌することで、半永久的に水を循環させ使い続けることが出来ます。フィルターの交換は必要ですが…。平常時には駅や公衆トイレなどのそばで節水に役立つものが、災害時には、生きて行く上で、なくてはならないものになるんです。

また「つな木」と言う、木材と専用クランプを使って誰もが簡単にベンチやテーブル、小さな部屋などを作れるアイテムなど、避難所で役に立ちそうなものも展示されていました。

また、小さな懐中電灯を可愛らしくスパンコールやラメでデコレーションして、普段からお洒落なアイテムとしてバッグに入れておけるように工夫をするブースやAEDの使い方講習なども行われていました。平常時から出来る“いまあるもので”の防災へのアプローチは千差万別です。

『サウスラボ』の広いスペースでは「防災クッキング」と題して、火を使わなくても食べられるお米“アルファ化米”を使った五平餅の作り方教室も開催されました。中部地方の山間部に伝わる郷土食で、人気のある五平餅。私も参加させて頂きました。お湯と混ぜるだけで、お米がご飯の状態になる“アルファ化米”ですが、この日は、お湯を多めに加えて手でもみ、お餅状にしたものを焼いて美味しく食べようと言う企画です。親子で参加する人も多く、わいわい楽しみながら簡単に五平餅が出来上がりました。避難所生活も長くなると、制約の多い暮らしで気持ちが暗くなって行きます。そんな時に親子でお料理が出来たらストレスも発散出来そうです。お餅を焼くためには岩谷産業の風よけの付いたカセットコンロを使いました。これなら避難先が屋外だった場合でも火力が落ちない工夫がされているので使いやすいですね。

また、この日だけではなく、数ヶ月前に『外庭SQUARE』に設置された“次世代型喫煙所”にも災害への備えがありました。喫煙所の中には、普段から防災グッズや担架が保管してあり、万が一、災害が起こった時には避難拠点に早変わり出来るのです。入り口の横にはAEDも設置してあるので、近隣のビルが閉鎖されたとしても、屋外に置かれたAEDなら24時間使うことができます。

【災害を起こさない工夫】

防災は起きた後に目が行きがちですが、他方で災害の発生を予防することも大切です。

丸紅木材はIKONIH(アイコニー)と言う国産のヒノキを使ったおもちゃや家具を作っています。使用しているのは山の保水効果を上げるために切られた間伐材や、木材にするために切られたけれど、曲がっているなどの理由で売れなかったヒノキです。間伐は、植林されたヒノキが過密になるのを避け、適切な生育状態にするため伐採する作業です。十分な間伐がされていないと、山が持つ保水力が弱まって土砂崩れなどの災害が起こる恐れがあります。丸紅木材は間伐材を活用することで山の防災になくてはならない工程を支えているのです。そんな間伐材で作られたヒノキの製品は消臭や除菌効果があるので、安心して小さなお子さんにも使って貰える優れもの。アイコニーを逆に読むと「HINOKI(ヒノキ)」になります。

【被災体験から学んだこと】

1995年1月17日の阪神淡路大震災で、私は芦屋の激震地区で被災。震度7の揺れで周りの家々はことごとく全壊しました。関西に地震はない。そんな都市伝説が当たり前だった時代で、私たちは驚くほど無防備だったのです。隣の全壊家屋を素手で掘り返し、お婆さんをみんなで助け出しました。電気が通るまでに数日。水が出るまでに1ヶ月近く。ガスが復旧するまでには数ヶ月かかりました。

水の備蓄もなければ、食料もない。助け出された人に心臓マッサージをする術も知らない。家が全壊した人たちは、近所の公園にテントを張って暮らし始めました。

そして2011年3月11日の東日本大震災。東京に転勤した私は日本テレビの会議室で被災。東京は交通網が完全にストップし、巨大なビルから大勢の人間が吐き出されましたが、行くあてがありません。駅も閉鎖されました。道しか居る場所のない私たちは何時間もかけて都心から歩いて自宅に向かいました。

大きな災害が起こった時、公園は人々の避難先になります。家を失った人、帰宅できない人を守る避難所や暮らしの場になるのです。災害が起こった時、公園は大きな役割を担います。

【これからの防災】

大規模災害が発生した際には大阪駅周辺に約7万8千人の帰宅困難者の発生が想定されています。『うめきた2期』のうち公園部分の4・5ヘクタールには、そのうちの3万人近くを収容し、応急処置や物資提供の拠点に出来るのです。

『うめきた2期』では広域避難地としても機能する都市公園を整備することで、防災機能の向上を図るとともに、比類なき魅力を備えた「みどり」を中心とした、世界の人々を惹きつける「大阪の顔」となる都市空間を備えたまちづくりの実現をめざします。

最後にUR都市機構のブースに行きました。ここでは、数年後の『うめきた公園(仮称)』をVR仮想現実で体験出来ます。大きなゴーグルを付けると、もうそこは未来の『うめきた』です。広々とした大きな公園には花が咲き、気持ちの良い空間が広がっていました。これだけ広い公園に、“いまあるもので”沢山の備えが出来たら!木材と専用のクランプを使って簡単な居住空間が出来、手を洗う水も確保され、一時的な食料や炊き出しの道具やAEDもある素晴らしい機能を備えた都市公園があったら、どれだけの人が助かることか…。

“いまあるもので”出来ることは少なくない、「防災のチカラ」を体験して改めて実感しました。